その人にだけの、特別な言葉。
他の誰にも使わせない、私だけの、親しみの証。
大切な人に、たった一つの名前で呼ばれる幸せ。

・・・・・・・・・ねえ、いつからかな。


あなたが名前で呼んでくれなくなったのは。







し言の葉、朝露に消ゆ −イトシコトノハ、アサツユニキユ−








「隊長、今日が何の日だか知ってます?」
「うるせえ。何度も同じことを聞くな」
ここは十番隊執務室。
そこにはいつものように十番隊隊長、日番谷冬獅郎と同じく十番隊副隊長、松本乱菊が黙々と仕事をこなしていた。
隊長、副隊長というのはただでさえ重要な役割が回ってくる。
上位二名ともなれば虚退治よりも執務室でのデスクワークがもっぱら主な仕事内容となってくるのだ。
しかし、そんな肩がこるようなデスクワークの最中、乱菊は先程から冬獅郎に同じ質問ばかりを浴びせていた。
つまり・・・・・・
「隊長、今日が何の日か本当に知ってます?」
「だからうるせえっつただろ。何度も何度も言わせるな」
と言うような内容の会話が先程から幾度となく聞こえているのだ。
「じゃあ、何の日か言ってみてくださいよ」
「・・・・・・・なんでそんなにしつこいんだ」
「私にも事情がありますので。で?何の日ですか?」
再度投げかけられた質問に、半ば聞き飽きたとでも言うように冬獅郎は自棄気味に答えた。
「13隊各隊席官上位二名を一堂に集めての花見だろ。だからどうした」
そう、今日は年に一度の隊長、副隊長を一堂に集めた花見が行われる日なのである。
花見は仕事が終わり次第招集がかけられ、恒例の古桜の大木の前で行われる。
席官上位二名とは隊長、副隊長のことで、死神の頂点に立つ総勢25名(十三番隊は副隊長がいないため一名除外)による雅やかな宴が催されるのだ。
「本当に行かないつもりですか?」
「あたり前だ。なんで俺がそんな騒がしい行事に参加しなきゃいけねぇんだ」
不機嫌が最骨頂に達したとでもいうように、眉間に皺を寄せながら冬獅郎は答える。
対する乱菊は聞き飽きた返答に本日何度目とも知れぬ溜め息を漏らした。
「隊長が行かなきゃだれが酔った雛森を止めるんです?」
「なんで俺にそんな役割が回ってきてんだよ。お前が止めればいいじゃねえか」
「私じゃ止められないからこうして隊長に頼んでんじゃないですか」
・・・・・・・五番隊副隊長雛森桃。
彼女は酒にめっぽう弱い。
毎年開かれる恒例の桜花見。
それは同時に酒宴の場でもある。
花見である以上それは当然なのだが、それに乗じてついつい行き過ぎてしまうのが雛森だ。
昨年の花見でも、例の如く酔っ払ってしまった雛森は、結局誰の手にも負えなくなり、最終的に部下に泣き付かれた冬獅郎がその雛森を止めに行ったのだ。
その手際の良いこと良いこと。
いかにも慣れています、といった様子だったのだ。
それ以来、酔った雛森の収集役は冬獅郎と、暗黙の了解が死神たちの間で交わされていたということは言うまでもない。
「だいたいもう花見は始まってんじゃねえか。行きたきゃお前一人で行ってこい」
「隊長を連れて行くのが私の役目なんですよ。もう観念してくださいよ」
「うるせえ」
決して譲ろうとしない冬獅郎も冬獅郎だが、幾度も幾度も粘り強く質問を浴びせる乱菊も乱菊だろう。
「だいたいなあ―――――――――――――」
冬獅郎が再度文句を言いかけた、その時―――――――――――――――――――
「日番谷隊長っ!!」
執務室の扉の向こうから、必死の様子で己の名を呼ぶ声を聞いた。
「・・・・・・・・・・・」
その声に全てを察した冬獅郎は湯飲みに手をかけたまま固まった。
それを見た乱菊がしてやったりというように意地の悪い笑みを向ける。
「こんどこそご観念くださいね?隊長」
冬獅郎が心底嫌そうな表情をしたのは言うまでもない。







「・・・・・・・・・・またかよ」
花見会場についたそうそう、冬獅郎は呆れたような声を漏らした。
それもそのはず、さっそく目にとまったのは他ならぬ雛森であったからだ。
それも極度に酔っ払った、というオマケつきで。
「あっ、日番谷隊長!」
その場に居合わせていた恋次とイヅル、そしてなぜだらよく分からないが八番隊隊長京楽春水は伝令を伝えに来た部下と副官、乱菊と共に現れた冬獅郎に希望に満ち溢れた声を上げる。
彼らの表情からは今までの苦労のほどがうかがえる。
・・・・・・・・・・・よほど必死だったのだろう。
冬獅郎の登場に対して、助かった!という感情が見え見えだった。
「・・・・どういうことだよこれは。俺は雛森に飲むなって言っておいたはずなんだがな」
そう、冬獅郎は前も手先手を打ち、何日か前から雛森に間違っても酒は飲むなと言い聞かせていたのだ。
だから今年は安心・・・・・・・・と思っていたのもつかの間。
結果はこの通りである。
「いやすまないね日番谷くん。ちょこーーっとなら大丈夫かと思って一口だけ桃ちゃんに酒を勧めたんだけど・・・・あんまりよくなかったみたいだねえ。ここまでお酒に弱いとは思ってもみなかったよ」
ほけほけと白状する京楽に、冬獅郎は殺気にも近い視線を向ける。
そうか、お前のせいか。
目が全てを語っていた。
「日番谷隊長、お手を煩わせてしまって申し訳ありません;ですが・・・我々ではどうにもなりませんので・・・・どうかよろしくお願いします」
駆け寄ってきたイヅルが生真面目に謝罪を述べる。
「・・・・・・ったっく・・」
そういいながら、冬獅郎は近くにいた雛森に近寄る。
雛森は半分眠っているかのように虚ろな眼差しを泳がせていた。
「おい、雛森。雛森っ!」
冬獅郎は雛森を軽くゆすり起こすと、彼女の名を耳元で呼んだ。
「・・・・・んっ・・・・・しろちゃん?」
ぼんやりと目を開けた雛森は虚ろなままの意識の中で思わず冬獅郎の昔の呼び名を口にしていた。
彼女だけに許された、特別な呼び名を。
「しろちゃん!!??」
と、雛森の発言に目をむいたのがここに一人。
雛森に密かに想いを寄せる三番隊副隊長、吉良イヅル。
思わず雛森が呟いた、冬獅郎に対する親しげな呼び方に、思わず声を上げてしまったのだ。
「しかたないわよ吉良。隊長と雛森は幼馴染で、あんたより付き合いはずーーーーーっと深いらしいから」
ぽんとイヅルの肩を叩きながらそれでいて冷たい言葉を事も無げに言う乱菊。
「だよねえ。桃ちゃんも日番谷くんといるときはいつも以上に楽しそうだしねえ。よっぽど仲いいんだね、あの二人」
京楽のさり気ない一言に、イヅル、風化寸前。
「でっ、でも親しいとは限らないじゃないっすか。たまたまそう呼んでるだけってことも・・・」
さすがに友人が不憫になったのか、恋次が必死にフォローする。
しかし、京楽はそんな恋次のささやかな思いやりにも気づかず、否定するように首を横に振った。
「いやいやそんなことないと思うよ。だって普段から桃ちゃんは日番谷くんを隊長とは呼ばないだろう?それに、酔って心の枷が外れて彼の呼び名を口にしたんだとしたら、相当親しいってことだ。いやいや初々しいね」
京楽の言葉に、イヅルはますます肩を落とす。
そんな彼らの前で、冬獅郎は雛森の酔い覚ましに奮闘していた。
「おい、雛森!聞こえてんのか!?雛森っ!!」
「・・・・う〜・・聞こえてるよしろちゃん・・・・・」
「嘘付けっ!!絶対聞こえてねえだろっ」
「・・・しろちゃ〜ん・・・・私このまま寝ちゃってもいいかなあ・・・・?」
「だめだ!!とっとと起きろっ!!!」
どうやら酔いが眠気に変わったらしく、雛森は目を擦っては再びとろんと落ちてくる瞼を上げようとしている。
が、一度来た眠気と言うものはそう簡単に去ってくれるものではない。
実際、雛森は起きようとはしているものの、落ちてくる瞼を止めることはできそうもなかった。
さすがの冬獅郎も諦めたように肩を落とす。
こうなっては素直に寝かせてやるほうが手っ取り早い。
「・・・・・・おい、桃」
「・・ん〜・・・なあにしろちゃん・・・・・・?」
「・・ったく。ほら、とりあえずお前の部屋まで送ってやるからとっとと立て。寝るのは部屋についてからにしろ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・桃?おい、聞いてるか?桃!だから寝るなっつうのに、おいこら桃!!桃っ」
冬獅郎が必死に呼びかけるが、雛森からは一切の返答がない。
見れば雛森はすでに夢の世界へと旅立っていた。
その証にスウスウと穏やかな寝息を立てている。
冬獅郎は大きく溜め息をつくと、しょうがないと言うように雛森を見やった。
「桃!!??」
と、またしても今度は冬獅郎の発言に声を上げた人物がここに一人。
今さら確認するまでもなく、その人こそ、三番隊副隊長吉良イヅル。
彼にとって本日二度目の風化が始まろうとしていた。
無理もない。
己の最大のライバルとも言える恋敵がその相手を名前で呼んでいたのだから。
いまだ名前を呼んだことも呼ばれたこともないイヅルにとって、それはかなり衝撃的であったようだ。
「・・・・隊長ったらやるわね。幼馴染だけあって雛森のことも普段は苗字だけど、実は名前で呼んでたのね」
絶句しているイヅルすぐ傍では、乱菊がどこか見当違いなところで感心している。
そのさらに隣では、京楽がイヅルを慰めるように語りだしていた。
「日番谷くんと桃ちゃんは昔一緒に住んでたそうじゃないか。なら親しくても無理はないんじゃないかい?ほら実際、二人の気持ちなんてバレバレって気もするし・・・・・」
「京楽隊長っ!!」
恋次が慌てて止めるが時すでに遅し。
京楽の言葉を聞いたイヅルは目をむいて固まってしまった。
「・・・・・・・・・・」
「あ〜らら」
「・・・・・やれやれちょっとまずかったかな?」
三人は交互に顔を見合わせため息をつく。
しかし、三人とも心の中ではこう呟いていた。

――――――――吉良が日番谷にかなうはずがない。

可哀想ではあるが、やはり無理なものは無理なのだと、少々冷たい評価を下す三人だった。
一方、冬獅郎はすっかり寝息を立ててしまった雛森に難儀していた。
「・・・・・・・・桃」
「・・・・・・・・・・・・・・・んっ・・・・・・スゥスゥ・・・」
「・・・ハア・・・。ったく」
しょうがない。
冬獅郎はそう思いつつ溜め息をつくと、雛森をひょいっと片手で軽々と抱え上げた。
身長差があるので多少無理をする体制にはなるが、それでも苦もなく抱えているところを見るとさすがと言っていいだろう。
冬獅郎はそのまま乱菊たちの方へ歩み寄る。
「おい松本。俺は雛森を部屋まで送って行くから後は好きにしろ」
「あ、はい。分かりました・・・」
「日番谷隊長、すんません、最後までご迷惑をかけて・・・」
「気にすんな。・・・・・・・・それより吉良のやつはどうしたんだ?」
冬獅郎は相変わらず固まったままのイヅルに不審そうな目を向ける。
「ああ、なんでもないですよ。それより隊長は早く雛森を送ってあげてください」
「ん?ああ・・・・・」
冬獅郎はいまだ不審そうにしつつも、雛森が風邪を引くといけないので早々に立ち去った。
後に残されたイヅルを除く三人は思わず顔を見合わせる。
「あれは勝ち目ないわ」
乱菊がしみじみと呟いたその言葉に、京楽と恋次は深く頷いたのだった。



名前で呼ばれること。

それは私を必要としてくれていると言うこと。

雛森は冬獅郎の腕の中で小さく笑った。
―――――――桃。
久々に呼ばれた己の名前。
もちろん、公私混同をしてはいけないのは分かっている。
だからこそ、彼も己も普段は当り障りのない苗字で呼び合っている。
でも、時々は。

たった一つの大切な名を、


あなたに、呼んで欲しい。



そう思うのは贅沢なのかな?


ねえ、


しろちゃん?

 

 

あとがき。。。。。

  私は日雛←吉良ってのが結構好きですv
  吉良に勝ち目は全くないけど健気な彼に皆がホロリ。
  いいじゃないか横恋慕。